英語を理解できなかった悔しさを英語学習の糧にしよう
悔しさをモチベーションに変えよう
英語でのコミュニケーションがうまくいかなかったり、理解できなかったりして悔しい思いをすることはあると思います。僕にもありました。買い物も、食事も、移動もそつなくこなせ、僕が英語を話せるようになったと思っていた頃の話です。
僕以外、みんなが楽しそうにしていた
ニューヨーク、マンハッタンの東側にアルファベット・シティと呼ばれるエリアがあります。
イーストビレッジと呼ばれ、昔からアーティストが多いと言われてるエリアです。
僕はアートや芸術にも興味があり、行きたいと思っていたポエトリーリーディングの大会を見に行くことにしました。
僕が行った日はグランドスラムと呼ばれる予選を勝ち残った人たちの戦う大会で小さなクラブはぎゅうぎゅう詰め。
白人の上品なジャケットを着たおじさんは本を読むように詩の朗読を始めます。
観衆は静かにおじさんの朗読に耳を傾けています。
テーマは反戦だった気がしますが、時折ユーモアを織り交ぜていて会場のみんなが笑っています。
僕はと言えばそのユーモアが理解できず、真顔のまま。
ひとつも笑わない僕のことを不思議そうに見ていた男性の目が印象に残っています。
そうかと思えば、次の黒人の男性はステージ上で走るような素振りをしながら、息切れしている呼吸音から始まり、そのまま畳み掛けるように詩の朗読に入り、圧倒的な存在感で観衆を惹きつけます。しかし内容は抽象的で全くわかりませんでした。
黒人の女性はソウルフルなゴスペル混じりのパフォーマンスをしました。
こちらはパフォーマンスが歌っぽくなっていることもあってやはり理解できず。
単語は聞き取れるんだけど、全体を通して何を表現したいのかよくわかりませんでした。
髪の毛の色がピンクが混ざったような白人のパンクっぽい女性は名前が呼び上げられると、会場にあるロフト部分から大声で
「I’m here, Let me throw my words!」と叫んでからドタドタ階段を降りてきて、そのままパフォーマンスに入るという流れでした。
彼女の詩は抽象的でありながら、彼女のガールフレンドが傷つけられたことを話しているようでした。
おそらく彼女はゲイであり、その辺の微妙なニュアンスも混じっていたのですが、理解できたとは言えませんでした。
彼らの圧倒的なパフォーマンスを前に会場にいる観衆は皆、心を動かされていました。
僕も同様に心を揺さぶられました。
だけど、僕は理解できていませんでした。
たぶん周りの人の20%も理解できていなかったと思います。
ポエトリー・リーディングは日本語で聞いても、理解できない部分があり、ある意味仕方ない部分もあるかもしれません。
しかし、あの強烈な体験を、言語という障壁のせいで取りこぼしたことがものすごく悔しかったです。
その日を境に僕の英語力に対する自信は揺らぎました。
もちろん英語圏で生まれ育った帰国子女を除けば、日本人としては上位5%くらいには入る英語力があるとは思っています。
しかし、いくら英語を使う機会を持ち、日常英語が話せても、教養や表現の部分になると理解できない部分ばかりなのです。
まとめ
僕はこの悔しい経験を通して英語に真摯に向き合うようになりました。
がむしゃらに勉強しているわけではないですが、背景にある考え方や文化、歴史、宗教観などもあわせて理解しようとするようになりました。
人によって経験は違うとは思いますが、このように理解できなかったり、伝えたいことを伝えられなかったりという悔しい経験をすることは、きっと英語上達の糧になると思います。
僕もまだまだ知らないことばかりです。
一緒に頑張っていきましょう。